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中国大陸鉄道を思い出しながら

 中国内陸の冬は、気象状況の変化が厳しい。洛陽から空路60分で上海へ行く予定が、降雪のため急遽、鉄道便変更になった。

 洛陽駅を14時20分に通過すると上海行きは、四川省成都発の列車で、西安を経て30数時間も走り続けた大陸横断の列車だった。

 始発で乗車した客は、車中に二泊して上海に着く。私が乗車した洛陽は、概ね成都−上海の中間地点に相当するようである。

 車窓から映像のように動く洛陽近郊の風景を見ていたら、芥川龍之介の「杜子春」を思い出した。仙人が、洛陽の放蕩青年を山奥へ連れて行き修行させたような感じの周辺を列車はゆったり走った。急斜面の山奥に、横穴様式の住居等が点在し印象的である。

 この列車の始発駅「成都」は、吉川英治の名著三国志の舞台であるが、この周辺関連の地理的範囲と思いながら当時を連想した。

 夕食の食堂車の中では、三国志の劉備・諸葛孔明などの末裔が同乗しているのではないかと思ったりした。

 世も更け、外の景色が見えなくなった21時頃、停車した駅の看板を見たら「徐州」だった。火野葦平著「麦と兵隊」の主題歌で記憶のある徐州である。徐州、徐州と人馬は進む徐州いよいか住みよいか……を口ずさんでしまった。快適な大陸鉄道「上海」行き。今になっては貴重な旅行体験になった。

 今年は、日中友好40周年。尖閣諸島の領有権をめぐり、地道に築き上げた友好正常化が音を立てて崩壊しそうな気配である。

 有志以来の隣国交流。課題解決のため、歴史や先人の知恵を謙虚に学び、親善の道を再開してほしいと願っている昨今である。

2012(平成24)年12月(書下し)