北朝鮮関連の新聞記事を見て、長らく積ん読にしておいた標記の本を取り出した。
著者の藤原テイさんは、昭和20年満州新京で終戦になり、三人の愛児を引き連れ朝鮮半島経由で北緯38度線に向けて生きぬいた言語に絶する苦難の記録著者である。
たしか中学校時代だったと思う。母がこの引き揚げ記録を読み、記述内容など耳にしていたので、著者の概要は知っていた。
私の母も38度線に向けて子供三人を引き連れ南下した苦難の様子が、余りにも同じなので共感共鳴し「自分にも文才があれば、この様な著書にまとめられるのだが」と言った感想が、今も私の記憶に残っている。
著者の藤原テイさんは、朝鮮半島西(黄海)側を南下。長男5才、次男2才、幼女1才の三人を引き連れての記録は何とも痛ましい。
私の母は、朝鮮半島東(日本海)側を9才の私、8才の弟と3才の妹を連れて南下した。
難民団体の人間模様や体験の詳細は定かでないが、記述内容を通して、不思議な記憶が甦ったりするようである。
北朝鮮と韓国の国境は、北緯38度の川が境界で、難民家族は当地を目指して歩き続けた。
妹が団体と共に歩けないので、私の家族四人は単独ペース南下になった。その時、北朝鮮へ向かう家族と出会った。私たち三人の子供に「もう少しで38度線、がんばってね」と激励して「元気の出るものを買って食べなさい」と言って、きれいな紙幣をくださった。
母はその厚意に感激し泣きだした。この時のことは、今も私の脳裏から離れない。
今年は終戦後67年。父と弟は引き揚げ途中で死亡。帰国後、母は84才で他界した。残りの私と弟、妹の三人は健在だが、著者の幼少児さん三名のそれぞれはご健在だろうか。
ご健在であれば「流れる星は生きている」近況等、知りたい気持ちである。
2012(平成24)年12月(書下し)