12月初旬の瀋陽は、最高気温の平均が零下3℃で厳しかった。中国の歴史「清朝」の都、東北地方の中心地「瀋陽」は瀋陽→盛都→奉天(満州国時代)→瀋陽と名を変え、現在では、上海、北京、天津に次ぐ中国第4の大都市である。また、東北地方最大の重工業都市・交通や鉄道の要地としても注目されている。
日本の満鉄時代、1910年竣工の奉天駅舎は、風格あるレンガ造りで、そのまま残っていた。しかし、モダンな高層駅舎ビルが隣接し、鉄道の中枢にふさわしい偉容である。ホームなどは昔のままと聞いた。半世紀以上の昔々、この駅で特急「あじあ」、急行「はと」や国際急行の豪華ライナーが発着したと思うと感慨深い。
大連へ移動するため乗車した列車は、大陸鉄道特有のサップグリーン(暗緑色)でシベリア鉄道を思い出した。
発車した車窓から、馬車や自動三輪車や人力リヤカー、自転車など、のどかな風景が目に入る。いつの間にか、荒涼とした畑地の中や、凍りついた白い光の中や、枯木の集合地等、広大な大地を列車は走る。途中の駅では、放置され、朽ち錆びた蒸気機関車も見た。セピア(茶褐)色の風景が今も印象に残っている。大連が近づくにつれて、広大な大地の風景が消え、日本の地形と共通する山容や雪の風景が見え出した。
大連の街は、高層ビルが林立する美しい国際貿易都市で「路面電車の風景」など、古来の中国を感じさせなかった。