私の出身高校行動ステージの両壁に、桜木七二画家の油絵二点が掲げてあった。「吹上浜の松林」と「開聞岳と海岸線」の印象派風、力強い骨太構図 の作風は、今も私の脳裏に焼付いている。
たしか中学時代だったと思う。この画家は、失明という衝撃的な病災で芸術活動も断念せざるを得なくなったことを私は新聞報道で知った。
明治37年(1904年)生れのこの画家を知る人は少ないと思われるが、私の郷里南さつま市(旧、田布施村新川)の出身で、高校の美術部に入部 したら、その画家の息子さんも先輩仲間のグループにいたので、親しみと関心度が高くなった。
その頃は、ご家族のご支援で陶芸や素描等をされていると聞いた。
行く河の流れの歳月を経て、当時の校舎は別天地へ移転することになり、懐かしい講堂も解体消失した。現在は、旧校舎の一部が加世田小学校になっている。
校舎移転や改築等で気になることは、学校所蔵のお宝的逸品や著名作家の作品等の行方である。桜木七二画家の作品が気がかりだったので、学校に立ち寄った。高校時代の後輩の西健吉氏が美術担当で、新校舎極寒の壁画の展示してある場所へ案内された。
懐かしい作品との嬉しい再開が実現したが、担当の話では、作品の破損箇所が拡大しつつあり、修復や維持管理の心配が指摘された。
昭和初期、二科展に再三入選し注目された、郷里の物故作家である。