霧島市のJR肥薩線、嘉例川駅(隼人町)は百年以上経過の古駅舎として注目されているが、同時期に開業した同市内の大隅横川駅(横川町)の歴史記録は意外に知られていない。駅舎は嘉例川駅とほぼ同じ形であるが、全体が一回り大きな造りで、ガラス窓と白壁に囲まれた待合室などは、昔の主要駅だった風格を今も残している。また、嘉例川駅と大きく違うところは近くに商店街や市の総合支所や公共機関、金融機関、住宅街や団地などがあり、横川町の玄関口のようである。
明治36年(1903年)肥薩線の開通により、山ヶ野金山で製錬された青金を輸送するようになると、駅を中心に宿屋、映画館、商店などが軒を並べ、昭和30年(1955年)頃まで町の玄関として栄えたが、金山の閉山と共に人口も激減し、駅の周辺も次第に衰退した史実がある。歴史の生き証人である当駅は、駅舎ホーム側の柱に戦時中の戦闘機機銃掃射の弾痕が残っている。現存する駅舎としては九州で最も古く、国鉄時代から主要な交通手 段の駅として活躍したが、道路交通網や自動車の普及などで、昭和61年(1986年)無人駅になった。
隣町の嘉例川駅は、無人の古駅舎に注目させるアイデアや宣伝力がある。
当駅も百年史にふさわしい駅舎としての誇りと、地は古く陽は新しく(横川中学校校歌)駅舎中心の癒し空間開発や新しい町づくりの元気を期待したい。
2007(平成19)年12月31日第392号